習近平が、毛沢東・鄧小平・江沢民に次ぐ
「党中央の核心」となった真相とは。
文化大革命の再来と呼ばれる理由
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だが、じつは農村の素朴な人たちの間には、文革時代を懐かしく思う人たちもいる。貧富の差を見せつけられる現代よりも、都市の知識層も貧しく、農民と一緒に労働していた時代が良かったと振り返り、当時の革命歌やスローガンを聴くと、興奮がよみがえる人たちも、けっして少なくないのだ。
習近平は確信犯的に、文化大革命の手法で、大衆を動員して、自らの独裁を強化しようと考えた。その明確な方針が打ち出されたのは、二〇一四年一〇月に彭麗媛のアイデアで開催された文芸工作座談会[二〇一四年一〇月に著名な文学者や劇作家、音楽家、舞踏家、書家など七二人を集め開かれた会議]だろう。これを機に、習近平夫人の元軍属歌姫・彭麗媛が芸能界を牛耳るようになると、文化・芸能を通じた政治宣伝が活発化した。
とくに習近平の個人崇拝的なものが目立ちはじめ、たとえば二〇一六年の春節(旧正月)の大晦日(おおみそか)に行われた中国版紅白歌合戦と称される「春節聯歓晩会」などは、もとは庶民の年末の娯楽番組にすぎなかったのに、あからさまな習近平礼賛番組になってしまった。
また有名な革命劇『白毛女』[中国の革命歌劇で共産主義模範作品の一つ。映画化・バレエ化も行われた]が彼女の演出で二〇一五年、3D歌劇として復活上映されると、「紅頭文件(党内部通知文書)」で党幹部たち全員が見るように通達されたりもした。
中国の一部知識層は二〇一四年秋以降を、プチ文革(亜文革)時代と呼び、彭麗媛の江青化などと揶揄(やゆ)した。江青は毛沢東とともに文革を主導し「紅色女皇」と呼ばれ、末期には王洪文・張春橋・姚文元と「四人組」を形成、激しい粛清を展開した。元売れない女優としての嫉妬心、コンプレックスがとくに芸能界への介入、粛清という形で表れた。江青がいなければ文革はあれほど凄惨(せいさん)なものにはならなかったといわれている。